50.ツール・ド・東北2017(南三陸フォンド170→64km短縮)

ツールド東北

東日本大震災の被災地を自転車で廻るツールド東北に初参加。台風18号接近のため安全重視で距離が短縮されたのが残念だったが、その中で被災地や被災者の状況と、イベントならではのお祭りムードを感じることが出来た。

■メンバ 単独
■バイク tarmac SL2/Specialized
■行程  2017年9月17日(日)晴れ、18℃、弱風~中風

06:40 石巻専修大学スタート、ルートミスし20分ロス!
07:41 女川エイド着
08:05 女川エイド発
08:55 雄勝エイド着
09:08 雄勝エイド発
10:00 石巻専修大学ゴール

行動時間 3時間20分
走行距離 70.8km
平均速度 25.2km/h
累積標高差 1340m
0917MAP.jpg
2011年3月11日の東日本大震災から今年で6年。仙台帰省時に津波被災地を走っても瓦礫の山や壊れた家屋などを目にすることは無くなり、妻の実家すぐ近く(亘理町)に建設された仮設住宅も閉鎖の後、完全に撤去され更地となった。仙台に訪れていた工事関係者も減り、夜の国分町も一時の賑わいがなくなって久しい。一方、昔サーフィンで通った荒浜地区(深沼海水浴場付近)は津波で街が完全にリセットされたまま再生されておらず、疎らに残っている海沿いの防風林まで遮る建造物が無いままである。震災後初めてここを通った時、立て看板がなければコンビニだと分からないような全壊状態の建物が、私が二十歳の頃オープンした馴染みのコンビニだと認識した瞬間、無機質な風景に当時の人の営みがフラッシュバックして重なり「ここがあの荒浜なのか」とあまりの変わり様に愕然として涙が止まらなくなったことがあったが、今は「更地の荒浜」に記憶のベースが変わりつつあり、込上がる思いも小さくなってしまった。

ツールド東北は被災地の復興支援と震災の記憶を未来に残していくことを目的に2013年より開催されている。今年で5回目。ジャズフェスやマラソン等は開催地域が狭くなるため、多くの被災地を廻れる自転車イベントとした経緯だとチャリダーという自転車番組でyahooの宮坂社長が語っていた。
ロードバイクを始めた2年前から参加したいと思っていたイベント。昨年までの抽選方式が先着順に変わり、満を持して参加権利をゲットした。冒頭の通り台風18号の影響で距離短縮となり、廻れた被災地は予定の半分以下と残念ではあったが、限られた中で復興の状況や住民の方々の雰囲気を直接感じることが出来て良かった。降水確率100%だった2日前の予報に開催自体を危惧したことを思えば大満足である。

震災前の住民の営みのイメージがないと、更地の現地を見ても、被災者の心の傷の深さや復興状況を感じ難いかもしれない。この前提で風化を遅らせる、後世に残していくことを考えていきたいと思った。また東日本大震災以外の災害、茨城県常総市鬼怒川決壊(2015年)、熊本地震(2016年)、九州豪雨や北海道大風3連発洪水なども規模や被災者数の差はあれ、受ける精神的、経済的ダメージは同様に大きいはず。今は直接の寄付の他、ふるさと納税の仕組みを使った寄付も出来る(ことが多い)ので、何かしらの「行動」をしていきたいとあらためて思った。
震災時の我が家の状況

◆ツールド東北の概要など

ツールド東北概要
サイト参照
定員 7コース合計4000名

申し込み
これまでの抽選式が先着順受付に変更された。yahooサイトからのエントリで、効率よく申し込む方法がPRされ、実際に申し込みを練習する環境があるなどとても親切。おかげで練習通りサクサクと申し込み出来た^^ 因みに申し込み開始直後にエントリです^^

私のエントリ
南三陸フォンド170km
累積標高差 1,904m
→台風18号のため64kmに短縮(エイドは↓の〇印のみ)
〇女川:女川駅前
〇雄勝:おがつ店こ屋街前
×神割崎[往路]:神割崎(10:40) 給水のみ
×歌津:南三陸ハマーレ歌津(12:40)
×蔵内:蔵内漁港(14:00)
×南三陸:南三陸ホテル観洋(14:50)
×神割崎[復路]:神割崎(15:30)
×北上:にっこりサンパーク前(16:15)

事前準備
・トレーニングは7月、8月、9月で約900km走行。2週間前に東尋坊170kmを走った
・メンテナンスは1週間前に各部のネジ締め、チェーン清掃と給油、サイコンの電池交換、タイヤチェック(ヒビ、摩耗)、ブレーキチェック、ギアシフトチェック、自転車全体の乾拭きを実施

交通手段
・実家→指定駐車場(約60km)
高速道路があり実家から1時間程度のため当日朝移動とする。前日受付の際、道順と所要時間を確認
・指定駐車場→石巻専修大学(約8km)
こちらも前日受付の際、道順と所要時間を確認した

当日行動
・3時30分起床、4時実家出発、4時50分駐車場着、5時10分駐車場発、5時40分会場着、6時40分スタート(先頭グループから15番目)、10時0分ゴール、11時半駐車場戻り
※会場着してすぐ並んでこの状況
※約2~3分間隔で50名ほどのグループで出発(50×15=750番目くらいか)

装備
服装:半袖、半ズボン、アームカバー、GORTEXアウター(ストームクルーザ/モンベル)、指なしグローブ、ヘルメット、サングラス
持ち物:水ボトル、行動食、塩飴、予備チューブ、空気入れ、ツール類、タイヤ外しレバー、スマホ、現金、ライト類(フロント、リア)、ロキソニン(痛み止め)、アミノバイタル、PENTAXデジカメ、ウエストバッグ
※前半のうちに熱くなりアウターは脱いで腰に巻いて走行

◆前日

IMG_1555.jpg11時の受付開始間もないせいか会場に人は疎ら

IMG_1554.jpg受付ブース

IMG_1557.jpg台風18号接近のため距離が短縮された

IMG_1556.jpg出走前チェック項目

IMG_1558.jpgポケモンステージ

IMG_1562.jpgせっかくなので牛筋汁を食べてみる^^ 16時から父親と食事の約束があるので1時間ほどブラブラして駐車場に戻った。

◆当日

170917-050616.jpg05:06 駐車場出発

170919-215250.jpg服装は半袖半ズボン+アームカバー+ストームクルーザ。前半で熱くなりアームカバーとストームクルーザは脱いだ

170919-215242.jpg6:40 間もなく出発♪

170917-071919.jpg07:19 最初の坂の手前

170919-215242(1).jpg女川エイド

170917-075954.jpg07:59 女川エイドでのトイレ待ちの列

170917-080810.jpg08:08 女川の様子。更地となり当時の人々の営みは想像が難しい。他の被災地も同様だった。

170917-083640.jpg08:36

170919-215238.jpg雄勝エイド直前のダウンヒル。海岸線の道路はアップダウンが多かった。今回は64kmなので心の趣くまま飛ばしたが170km走るならペース配分が肝だろう。

170919-215230.jpg雄勝エイドのホタテは海からあげ立てを炭火で焼いたもの

170919-215226.jpg直径6-7cmと巨大かつプリプリと柔らかく最高だった♪

170917-092229.jpg09:22 北上川沿いの平坦路
ここからのラスト10kmは30km/hオーバーで飛ばした^^

170919-215208.jpg10時丁度にゴール!
完走証と「自分号外」(写真)を受け取る。左から4番目くらいの青いアウターを着ているのが私^^

170919-215152.jpg11:30 駐車場戻り

東日本大震災時の我が家の状況

現在は家族で金沢だが仙台生まれの仙台育ちで40年間仙台に住んでいた自分。震災時は単身赴任中だったので妻と娘が仙台で被災し、直後に妻と「大丈夫か?」「大丈夫よ」の短いメールをして以降、電話もメールも完全不通となり、娘と親類の安否が確認出来なかった。特に宮城県南部の亘理町に住む妻の両親については、津波がJR亘理駅まで到達したという情報がネットに流れ不安が増大。休日だった翌土曜日も朝から全く連絡が取れずその状態が夜まで続きこれでは埒が明かないと会社に休暇を伝え超大量の食糧と携行缶にガソリンを積んで日曜日に現地に出発した。

磐越道は道路破損で通行止め。新潟で高速を下りて国道113号で小国峠を越えて福島に抜け、国道4号で亘理を目指した。この時の国道4号の異様さは今でも強烈に覚えている。東京から青森を縦貫する幹線道路(金沢でいう8号)で昼夜を問わず交通量があり、店が並ぶ明るい道路なのだが、この時は全ての照明が消え(100%完全に真っ暗)、コンビニどころか信号機もダウン、道路は凸凹とゴーストタウンのようであった。

幸いにして、亘理には津波は到達しておらず住居の破損もなかった。その後、仙台の私の父親と家族についても無事を確認。父宅は建物被害なし、私の家は外壁と基礎がヒビだらけとなり、扉の立て付け不良などが発生したものの、居住に危険があるレベルではなかった。(因みに父と私の住居は海から10km以上離れ津波とは無縁のエリア)

仙台ではガソリンが枯渇し給油出来ないことを聞き、新潟と山形で給油可能かを確認。金沢に戻る時は最低でも山形までのガソリンを残せばよいことを確認した。仙台では営業前からダソリンスタンドが長蛇の列となり、それは信号機を跨いで続くほどだった(数100m以上)。しかしスタンドのガソリンが枯渇すると給油自体が出来なくなり、その後は1台当たりの給油制限が設けられた。

友人関係の安否についてはあまり覚えていないが、娘の友達の親が亡くなった話や、たまたま海沿いの出張先で被災して自宅まで100km近く歩いて帰ってきた話を妻から聞いた。海に近い場所(七ヶ浜町)で歯科医院経営していた親友は医院のすぐ手前で水が停まり津波の被害から逃れた。多賀城に住む旧友は避難場所からのTV放送インタビュー映像で被災を知り危惧したが、翌年年賀状が届いたことと、その住所が変わっていなかったことで安堵した。
という状況。

妻がいう重宝した物資いついて
・ガソリン(これは最高に喜ばれた。車が使えないと買い出しにも行けない)
・紙サラ、紙コップ(水で洗わず捨てられる)
・カロリーメイト的な乾燥した食べ物
缶詰めは缶を洗わないと臭くなるためNG
カップラーメンはお湯が必要のためNG
・ペットボトル飲料水
・除菌効果のあるウェットティッシュ(手や体を拭く)
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毎日新聞
見つめ続ける大震災:東日本大震災から6年、被災地の今(2017年3月10日)

NHK
東日本大震災アーカイブス ~証言webドキュメント~

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